この度、発生しました東北地方太平洋沖地震にて被災された皆様におかれましては、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
先週、自転車仲間が立ち上げた宮城県石巻の被災地支援のボランティア活動に、弊社社長鳴嶋勇と小畑郁が参加してきました。鳴嶋勇社長よりレポートが届きましたので、ブログに掲載します。
津波被災地宮城県石巻に行ってみて――
東北道は相馬あたりから補修工事後のガタガタが続きます。行き先は石巻の専修大学キャンバス内のピースボードの基地。救援活動は地元自治体か、すでに協力しているボランテアの要請である事を証明し関係機関に書類を提出、そして要請書を貰ってからでないと活動できないらしい。
まずはピースボードの指示に従うべく専修大学まで行くが道路から見える範囲に立ち並ぶ新興住宅にまったく被害はない。ここは石巻港にごく近いはずだが津波が来ない処...と云う事は地震だけでしたら被害はたいした事はない、やはり大津波って恐ろしいですね。
車は曲がってすぐの運動公園にさしかかると、何とおびただしい数の自衛隊トラックや特殊車両に消防車と救急車が勢揃い。1個師団が集結? 深緑色の連なる野営キャンプ場はまるでどこかの国との戦闘状態かとさえ思えるほど、ただ事で無いのは一目瞭然。港に近づき河を渡るが、橋は鉄板で補強されガタガタ。いきなり船がガードレールに乗っている。その細くなった道路が水没していて通れそうにない?と、向こうから地元の車がゆっくり近づき通り過ぎる。そうです満潮で水没、道路は異物が無いようです。
何とか避難所の湊小学校に到着しました。今回は、タイヤに耐パンク剤「シーラント注入」が目的で様子見と云う事でしたが。そうも言っておれず修理にとりかかる事に、リヤカーのバルブがちぎれている、適合チューブ持ち合わせ無く1×1×3/8のママチャリチューブを無理やり突っ込んでOKとし、次の津波被害ママチャリ車、何とペダルが回らずチェンカバーの中に入っている砂をドライバーでほじくる始末。これにはさすがビックリ! 津波の脅威を見せつけられました。
僕が仕事している真ん前でグランドを整備しているオーストラリアUCLAの若者がやってきて「ナルシマサン?ワ タシ、ハラジュクカラシッテマス... ジングウヨクナッタネ!」またまたビックリ!トライアスロンの選手だそうです。意外な処で身近な人に遭うものですね。
教室の2・3・4階の被災者の方々の窓からは誰一人眺める人がいませんでした。そのうち裏の入口付近に2人の老人が興味深げに遠くから眺めているのが目に入った。
「ね~興味があるようならおぼえてみない?」すると「俺たちは元自転車屋だよ」「それならここの人だけでも直してあげてよ」「道具がネ~」「そう思って俺の道具あげるつもりで持ってきたから頼むよ~」
さっそく1人が着替えて来た。ヤッタね~と思ったのも束の間...眺めるだけで実行に移さない糖尿病の年上老人の方が口だけ出すが「正解」。手を出した現タクシー運転手の方はと云うとこれが「からきしダメ!」 2人で1人前...ま、いいか?ってことにして、ぬかるみの路面を後ろ髪惹かれる思いで現地を後にしました。
自転車をひきずって来たおばちゃんの「涙も枯れてもう何一つ残って無い」の一言が胸に突き刺さってます。せっかく持って行った潤滑油も余分な水も無く塩砂さえ洗えず潤せない。被災者の家屋も水が使えず乾かしてこすりおとすだけ、とても拭い切れない。お風呂もままならず・・心も体もさえも癒せない。
先の見えない生活はいつまで続くのだろうか?充分な潤いを持てる日を早急にと思はずには居られませんでした。